フラメンコ・1 思い立ったので
フラメンコを習い始めて10ヶ月程経った。
そろそろアラサーも無理がある年齢となった私が、休みの日には持っているDVDを見るか、ゲームするか、漫画を読むか、ちょっと元気があれば駅前のカフェでコーヒーでも飲むのがせいぜいだった私が、なぜそんなアクティブなことをしようと思ったのか。
理由は色々あるのだが、1番はつまり、上記のような休日とは全く違うことがしたくなったからだ。
土曜の午前、金を払っている以上行かないわけにはいくまいとちゃんとアラームを掛けて起床し、化粧をし、着替えと靴とファルダを持って練習に出掛ける。ついでにゴミも捨てられる。これだけで随分規則正しい休日が送れるようになった。
社会人になって10年以上、まともな運動習慣が無いままだったので、最初のひと月は1時間の練習で体力を使い果たし、帰宅したらそのまま夜まで寝てしまっていた。「逆に時間の無駄なのでは…?」と思わないでもなかったが、今まで続けてくるうちに、練習の後遊びに行ける程度には体力がついて来た。最近引っ越して家に大きな鏡があるようになったので、自主練が楽しくなり、前よりは上達を感じられることも増えた。
つくづく思うのは、自分の身体は自分のもののようで自分のものでは無いということだ。
フラメンコでは足音が重要で、大雑把に言うと足全体で打つとき、爪先で打つとき、踵で打つときの3種類が左右にあり、これを組み合わせてステップが作られる。
右の踵の次に左の爪先を打ってそのまま左の踵を落とし、右全体で打つ、みたいな、日常ではまずやらない動きがバンバン出てくる。全然スムーズに出来ない。本当に運動神経が鈍いので、踵といくら思っても足全体が鳴ったり、右を動かしたつもりが左を上げていたり、そんなことばかりだ。
だが楽しい。
身体を動かすのは楽しいという単純なことを、フラメンコを始めてやっと理解できるようになった。
人間、特にデスクワークをしている大人は日常では体の末端しか動かしていない。
関節という関節を鳴らしながら、右と左がわからなくなりながら、身体全体を使って先生の真似をして、なんとかリズムに乗ろうとしているのは、傍から見たら滑稽だろうが、私自身はとても楽しんでいる。
やってみなければ、分からないことだった。
今、私のいるクラスはちょっと変則の4拍子を自分なりに踊ってみよ、という課題を与えられている。YouTube等で研究してはみるのだが、どのように動けばいいのか考えているとどんどんリズムが分からなくなってくる。
鏡の前で手足を動かしながら試行錯誤していると、自分の身体が少し自分に近づいてきてくれる。
踊るというのはクリエイティブなことなのだな、と今更ながらに思う。
クリエイティブとはつまり、自分を思う通りに動かすということなのだ。