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楽しんだ時間の記録と整理

私以外の人には些細なこと

「20年応援していたあるアイドルのファンを辞めた」今までの人生で最大に迷った決断だった。

「最優先でお金と時間を掛けて応援しようと思えるなにか」には、人生でもそうそう出会えないからだ。

20年応援した。その間ずっと、日々に張り合いをもたらしてくれた。思春期以前から追いかけていたから、私の思想の基盤みたいなものは大袈裟ではなくあの人たちの言葉と行動が作ってくれた。

 

何に対しても、愛していれば必ず不満を持つものだと思う。もし今好きな何かに対して全く不満が無いと言う人がいるなら、それはきっと見ないふりをしているだけだ。そういう人を間違っている、と指差すつもりはない。ずっと見ていたいものに対して不満を意識するのは疲れる。「他人は変えられない」ではないが、「自分を曲げてしまう」のが一番手っ取り早い。しかも、何と言っても愛しているのだから、少しの部分を無視するだけで自分は100%幸せでいられる。

今から思い返せば、最後の数年は私もだいぶ自分を曲げていた。あの人たちの活動の質が下がったわけでは決してない。ただ、私が見たい方向の作品や番組が、あまり供給されない日々が続いていた。それを、「本人がやりたいことだから」と納得していると自分に思い込ませていた。

 

 

ある年の、久しぶりのライブ。わたしは非常に楽しみにしていた。グループとしてのステージが、なによりも好きだった。

特にあの人たちが自由に話すのが好きだったから、私がライブで一番楽しみにしていたのがMCだった。

しかし、なぜかMCの時間は年を経るごとに減らされ、ついにはライブ中一度しかなくなってしまった。そして、あの日、その貴重なMCに台本があるのを感じ取ってしまったとき、私は自分の気持ちを曲げきれなくなってしまった。

もちろん、歌もダンスも最高な人たちだった。だが、数万人も入る会場の二階席後方からでは、はっきり言って何も見えない。後から発売される映像を買って見た方が余程しっかりと見られる。演出がすごいと言う人もいるが、私が見に来ているのはなによりも本人たちだった。それに、チケットが当たった回数分同じセットリストの公演を観る。MCすらも変えないというのなら、こんなに熱心に公演に通い詰める意味は、果たしてあるのだろうか。

MCを減らしたのは多分、あの人たちだけが決めた方針ではないだろうと思っている。だが、本人が逆らえない人が決めた方針と自分の好みが合わない時点で、もう、どうしようもないのではないか。

現場からの帰り、初めて素直に楽しかったと思えなかったあの日、SNSにはいつも通りの大絶賛が溢れていた。暗くなった家路を急ぎながら、私は、もうあの人たちの客ではなくなってしまったことをふと理解した。

 

少し経って、CDやBlu-rayをまとめBOOKOFFに売りに行った。嫌いに振り切れてしまった訳ではない。しかし、これらをもう再生機器に入れないだろうことは自分が一番よくわかっていた。

保存状態が良かったからか、初回盤がかなりの数入っていたからか、自分のBOOKOFFへの売却史上、最高の金額を受け取った。レシートを見て、思わず一歩後ずさってしまったのを今でも覚えている。次の瞬間、泣きそうになったことも。

後悔するだろうか、と少しの間身構えていたが、緩やかに本当の意味で私はあの人たちから離れていった。

20年の大半、本当に狂おしいほど好きで、「離れては生きていけない」と思っていたのも嘘ではない。あの人たちは、なにもかもを私に教えてくれた。

人と比べずに自分の人生を生きること、いつでも正直にいること、内面は絶対に外面に出るのだから努力を怠らず前向きでいること。

あの長い迷いからの決断を以て、あの人たちは私を「卒業」させてくれたのだ。

今でも元ファンとして、健康と幸せをそっと祈っている。